海外ブランドが日本の課題を語るとき:ナイキ2020年広告に学ぶキャンペーンリスク
2020年11月、ナイキは日本国内で2分間の動画広告『動かしつづける。自分を。未来を。』を公開した。海外では社会的なメッセージを正面から扱った意欲的な広告として高く評価された。一方、日本国内では、ブランドの不買を呼びかける声が出るほどの強い反発を招いた。
この「本国での受け取られ方」と「実際に売りたい市場での受け取られ方」のあいだに生じるずれこそ、ブランドがキャンペーンで抱えうる最も見えにくいリスクである。ナイキの広告は、その典型例として参照する価値がある。なぜなら、これは不注意による失敗ではなく、おそらくは意図的に引き受けられたリスクだったからだ。両者の違いを理解することが、この記事の主眼である。
キャンペーンの内容
動画は、3人の若いサッカー選手を追う。アフリカ系と日本人のミックスルーツを持つ子ども、日本に暮らす在日コリアンの少女、そして日本人の女子高生である。それぞれが差別やいじめ、「周囲となじめない」という感覚に直面し、サッカーを通じて自分を表現し、乗り越えていく。締めくくりのメッセージは、目の前の壁を越えていくこと。ナイキがアスリートの挑戦を語るときに用いる「壁とその突破」という比喩を、社会的な疎外の文脈に当てはめたものだった。[2]
題材は、意図的に踏み込んだものだった。動画には、子どもの髪に触れる場面や、在日コリアンの少女がネット上で中傷を受ける場面が含まれていた。いずれも、日本のマイノリティが置かれた現実の、そして見解の分かれる側面への言及である。繊細な話題にうっかり触れてしまったのではない。このキャンペーンは、その話題の上に組み立てられていた。
何が起きたか
日本国内の反応は大きく割れ、否定的な側の声は大きかった。
最も多かった批判は、この広告が「日本社会全体が差別的であるかのような誤解を与える」というものだった。多くの視聴者が、広告の描写と自分自身の経験とのあいだにずれを感じ、「自分の周りにそんな差別はない」という感覚を表明した。髪に触れる場面やネット中傷の場面の演出は「過剰な演出だ」と受け取られた。第二の批判の筋は、メッセージそのものよりも語り手に向けられた。スポーツブランドが商品プロモーションを社会正義と結びつけるのは偽善的だ、そしてナイキ自身が労働問題で批判されてきた経緯を踏まえれば、差別について日本に説く資格はない、という主張である。第三の筋は、マイノリティを被害者、日本人を加害者とする単純な構図に見える点への反発だった。[2][3]
反発の核にあったのは、内容だけではない。海外の、アメリカのブランドが、日本の社会問題を日本の視聴者に向けて描き返したこと、それ自体への反発だった。二度とナイキ製品を買わないと表明する視聴者もいた。[1]
ただし、反応は一様に否定的だったわけではなく、本当に二分された。心を動かされた人も多かった。自分が生きてきた経験を代弁してくれたようだ、普段は語りにくい問題を可視化してくれた、議論を始めること自体に価値がある、という声が寄せられた。[2][3] ここは重要な点だ。「ナイキは失敗した」という一面的な読みは正確ではない。この広告は、一部の視聴者を遠ざけたのとちょうど同じ程度に、別の一部の視聴者には響いていた。
国内と海外で割れた反応
日本市場に参入する海外ブランドの多くは、無理解ゆえに日本人の感性を損ねることを恐れる。誤訳、文化的な勘違い、記号の誤用といったものだ。これは現実のリスクだが、わかりやすいリスクでもある。
ナイキの事例は、より見えにくく、より厄介なリスクを示している。この広告は海外では、とりわけナイキの本国であるアメリカでは、差別に勇敢に向き合うブランドとして概ね称賛された。[4][5] 反発が生じたのは、実際の対象市場である国内の日本の視聴者のあいだだった。本国から見れば勇敢で、ブランドの理念に忠実に映るキャンペーンこそ、現地での着地を見誤りやすい。承認する側の人々が、対象市場ではなく本国の価値観を通してそれを読んでいるからだ。
この構図は、海外ブランドに固有のものではない。国境を越えるキャンペーンに関わるすべての作り手にとって、同じ力学が働く。承認の判断が下される部屋の価値観と、評価が下される市場の価値観は、しばしば一致しない。そして承認権限を持つ側は、たいてい実際に売りたい相手ではない。
失敗か、価値観に基づく選択か
ここでの分析は慎重でなければならない。「反発を招いた」ことと「間違いだった」ことは同じではないからだ。
ナイキのグローバルブランドは、一貫した価値観の上に築かれており、社会的な立場を可視的に取ることは、その価値観を表現する一つの方法である。2年前、コリン・キャパニックを起用したキャンペーンはアメリカ国内で大きな論争を呼んだが、その後、広告賞を受賞し、ナイキの売上自体はむしろ伸びたと報じられた。[5] 一貫しているのは、ナイキが人々を怒らせようとしているということではなく、同じ価値観を各市場に適用し、その価値観が場所によって異なる受け取られ方をすることを引き受けている、ということだ。この観点から見れば、差別を扱った日本向けの動画は、ナイキがグローバルに掲げる理念と一貫していた。そしてブランドは、その一貫性が国内視聴者の一部にとっては居心地の悪いものになることを、十分に理解していた可能性がある。
これこそ、キャンペーンリスクを考えるうえで重要な区別だ。事前のリスク分析の目的は、すべてのリスクを取り除くことではない。それをすれば、価値観に根ざした意欲的なクリエイティブもまた、ことごとく失われてしまう。目的は、ブランドが自らのリスクを意識的に選び取れるようにすることである。価値観が問われる市場で、予想される反応を事前に理解し、対応を準備したうえで、それでも自らの価値観を貫くブランドは、同じ反応に不意打ちされて慌てふためくブランドとは、まったく異なる立場にいる。画面に映る結果は同じに見えるかもしれない。だが、その背後にある力量は同じではない。
ナイキについて残る問いは、外部の誰にも完全には答えられないが、どちらだったのか、ということだ。本国とは異なる受け取られ方をする価値観の表明を、日本の視聴者がどう受け止めるかを理解したうえで、ブランドの理念はその摩擦に値すると判断したのか。それとも、キャンペーンを現地の価値観ではなく主にナイキのグローバルな価値観に照らして評価したために、国内の反応を過小に見積もったのか。ナイキのように明確な価値観とグローバルな規模を持つブランドにとって、反発の中で姿勢を貫くことは筋が通っており、擁護しうる。だが大半のブランドにとって、その規模で予期せぬ反応を吸収できないまま同じ反発が不意に訪れれば、それはそのまま危機になる。
事前分析で何が見えたか
このキャンペーンのリスクは、どれ一つとして隠れていなかった。ローンチ前の構造的なレビューがあれば、いくつもの点が事前に浮かび上がっていたはずだ。キャンペーンを止めるためではなく、それを実施するという判断を、情報に基づいたものにするためにである。
「語り手」の問題は予見できた。海外ブランドが日本の社会問題に言及すれば、作品の出来栄えにかかわらず「お前が言うのか」という反応を招く。これは企画の前提だけから、一フレームも撮影される前に予測できた反応である。
題材そのものの繊細さも、わかっていたはずだ。在日コリアンの問題は、日本の公共的な議論のなかでも最も見解の分かれる主題の一つである。それを広告で描けば、複数の方向から強い反応が出ることは確実だった。これもまた、コンセプトの段階で予見できた。
「日本イコール差別的」という構図のリスクも、特定できた。マイノリティを日本という環境の被害者として描く構造は、視聴者の一部にとっては、外部の者が国全体を断罪しているように読まれることが、初めから避けがたかった。それを事前に把握していれば、ブランドは構図を調整するか、あるいはその反応を受け入れて備えるかを選べたはずだ。
炎上の力学も、形のうえでは予測可能だった。この種の論争は日本のソーシャルメディア上で速く動き、およそ2日のうちに主流メディアの報道に達する。[6] 想定されるタイムラインを知っていれば、ブランドはピーク時に即興で対応するのではなく、あらかじめ対応を構えておくことができる。
これらを事前に洗い出す目的は、ナイキがこの広告を出すべきではなかった、ということではない。ナイキのような戦略を持つブランドなら、目を開いたうえで、それでも出したかもしれない。要点は、ブランドがこうしたリスクを反発そのものから初めて知る、という事態は避けるべきだ、ということだ。その時点では、残された手は対応だけになる。
まとめ
日本でのキャンペーンは、グローバルに通じる主題に触れたり、海外の視聴者に届いたりした瞬間から、もはや日本だけのキャンペーンではなくなる。そして、それが承認される部屋の価値観は、しばしば、それが評価される市場の価値観とは異なる。ナイキの広告が有用な事例であるのは、まさに単純な評決を拒むからだ。称賛もされ批判もされ、理念的でありリスキーでもあり、ブランド価値観の自信に満ちた表明であった可能性も、その価値観が現地でどう着地するかを見誤った可能性も、すべてが同時に成り立っている。
この種のキャンペーンを生き延びるブランドと、それに傷つけられるブランドを分けるのは、リスクが存在したかどうかではない。これほど意欲的な仕事には、リスクは常に存在する。分けるのは、ブランドがそのリスクをローンチ前に明確に見据え、意識的に選び取り、その後に来るものに備えていたかどうかである。
参考文献
- "Japan Nike advert about diversity sparks calls for a boycott," Yahoo Sports, 2020. https://au.sports.yahoo.com/nike-japan-advertisement-sparks-controversy-boycott-calls-053628217.html
- 篠原修司「ナイキCMに「感動した」「日本人を差別主義者の悪者にしてる」賛否両論」Yahoo!ニュース エキスパート, 2020. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/77c4da1f61f2b384bdb78c406068dd1ce3c13f77
- 「ナイキCM炎上で見えた「差別に過剰に反応する」人たちの正体」現代ビジネス, 2020. https://gendai.media/articles/-/78276
- 安部かすみ「「日本には差別がある」ナイキ広告が炎上し世界に波及 本国アメリカではどう映った?」Yahoo!ニュース エキスパート, 2020. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/34b90a6afbb01f5c275735c8d8d62ad413a170c1
- "Nike Japan ad receives backlash but is incidentally brilliant," Campaign Asia, 2020. https://www.campaignasia.com/article/nike-japan-ad-receives-backlashbut-is-incidentally-brilliant/hhojdugaz3hpkpm4907kf9vncn
- 「【SNS分析】NikeのCMは「炎上」なのか?データから広報・マーケ担当が学ぶべきことを考察」サードオピニオン, 2021. https://3rd-opinion.net/article/312/
pardai は、キャンペーンがローンチされる前に日本市場でのリスクを分析し、反応を引き起こしやすい文化的・言語的・世代的・炎上的な力学を特定します。進めるという判断を、情報に基づいたものにするために。